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主に数学関係の記事を書きます

命題論理 Part4

前記事(命題論理 Part1~3)では主に高校数学で学ぶ範囲の内容を紹介したが、この記事ではより発展的な内容(大学の数学で学ぶ範囲の内容)を紹介する。とは言え、今までと同様「数学」は一切使わない。

複数の「かつ」や「または」を含む命題

前記事(命題論理 Part1)で「かつ」と「または」の説明をしたが、「 A \wedge B」や「 A \vee B」のように2つの要素を「かつ」や「または」で結んだものだけでなく、

 A \wedge B \wedge C \wedge D」や「 A \vee B \vee C \vee D

のように複数(3個以上)の要素を「かつ」や「または」で結んだ命題を考えてみよう。

例えば、「 A \wedge B \wedge C \wedge D」という命題が真である場合、これはもちろん、「 A が真であり、かつ  B が真であり、かつ  C が真であり、かつ  D が真である」という意味なので、言い換えれば、

「命題  A, B, C, Dすべて真である」

という意味になる。

一方、「 A \vee B \vee C \vee D」という命題が真である場合、これは「 A が真であるか、または  B が真であるか、または  C が真であるか、または  D が真である」という意味なので、言い換えれば、

「命題  A, B, C, D のうち少なくとも1つは真である」

という意味になる。

ここで、前記事(命題論理 Part1)でも触れたが、「少なくとも1つ」というニュアンスには注意が必要である。つまり、

  •  A のみが真であり、 B, C, D は偽である

  •  B のみが真であり、 A, C, D は偽である

  •  C のみが真であり、 A, B, D は偽である

  •  D のみが真であり、 A, B, C は偽である

といったような、どれか1つだけが真になるパターンだけではなく、他にも、

  •  A, B が真であり、 C, D は偽である

  •  A, B, C が真であり、 D は偽である

  •  A, B, C, D すべてが真である

などといったパターンも含まれることに注意しよう。要するに、

 A, B, C, D すべてが偽」というパターン以外はすべて含む

ということである。

全称命題

前節の内容を踏まえてもらった上で、次のような命題  A_n を考えよう。

 A_n:田所さんは12月  n 日は出勤予定である

上の命題において  n は日にちを表しているのだから、当然  n は1以上31以下の整数である。 A の右下に添え字で  n を付けて  A_n としている理由は、 n の値が変化すると命題の内容も変化するからである。単に  A などと名付けてしまうと、 n の値が変化した際に見た目上見分けがつかなくなってしまう。 A_n と名付けることにより、例えば

「田所さんは12月3日は出勤予定である」

という命題は  A_3 と表せるし、

「田所さんは12月24日は出勤予定である」

という命題は  A_{24} と表すことができる。

さて、上の命題  A_n に対して、さらに次のような命題を考えることにする。

 A_1 \wedge A_2 \wedge A_3 \wedge A_4 \wedge A_5 \wedge A_6 \wedge A_7 \wedge A_8 \wedge A_9 \wedge A_{10} \wedge A_{11} \wedge
 A_{12} \wedge A_{13} \wedge A_{14} \wedge A_{15} \wedge A_{16} \wedge A_{17} \wedge A_{18} \wedge A_{19} \wedge A_{20} \wedge A_{21} \wedge
 A_{22} \wedge A_{23} \wedge A_{24} \wedge A_{25} \wedge A_{26} \wedge A_{27} \wedge A_{28} \wedge A_{29} \wedge A_{30} \wedge A_{31}

長ったらしくて驚かれたかも知れないが、これはつまり、1以上31以下のすべての  n に対して、 A_n すべてを「かつ」で結んだ命題である。前節と同じ考え方をすれば、この命題は要するに

「田所さんは12月1日から12月31日まですべて出勤予定である」

という意味になる。田所さんが31連勤のブラック労働になってしまうことについてはここでは目を瞑るとして、今考えたいのは上の命題を毎回毎回先ほどのように

 A_1 \wedge A_2 \wedge A_3 \wedge A_4 \wedge A_5 \wedge A_6 \wedge A_7 \wedge A_8 \wedge A_9 \wedge A_{10} \wedge A_{11} \wedge
 A_{12} \wedge A_{13} \wedge A_{14} \wedge A_{15} \wedge A_{16} \wedge A_{17} \wedge A_{18} \wedge A_{19} \wedge A_{20} \wedge A_{21} \wedge
 A_{22} \wedge A_{23} \wedge A_{24} \wedge A_{25} \wedge A_{26} \wedge A_{27} \wedge A_{28} \wedge A_{29} \wedge A_{30} \wedge A_{31}

などと書き表すのは正直「面倒くさい」という問題である。何より長ったらしくて非常に見にくい。というわけで、こういった「すべて~である」というニュアンスを含んだ命題については、次のように「書き換える」ことにしよう。

 \forall n, A_n

見た目としてはだいぶすっきりした形になった。上の命題における「 \forall」という記号は、日本語に訳すなら「すべての」と言い換えればよい。実際、「 \forall」という記号は「すべて」を表す英単語「All」の頭文字の「A」を上下反転させてできた記号である。 A_n の前にある「 , 」(カンマ)は「~に対して」と言い換えてほしい。つまり、上の命題を日本語で言い換えると、

「すべての  n に対して  A_n は真である」

となる。さらに具体的に書き下すなら、

「すべての  n に対して田所さんは12月  n 日は出勤予定である」

となる。先ほどの

「田所さんは12月1日から12月31日まですべて出勤予定である」

と同じ意味になることが分かると思う。この例のように「すべての」という意味を表す記号「 \forall」を含んだ命題を全称命題という。

存在命題

前節と同じ命題  A_n に対して、今度は次の命題を考えよう。

 A_1 \vee A_2 \vee A_3 \vee A_4 \vee A_5 \vee A_6 \vee A_7 \vee A_8 \vee A_9 \vee A_{10} \vee A_{11} \vee
 A_{12} \vee A_{13} \vee A_{14} \vee A_{15} \vee A_{16} \vee A_{17} \vee A_{18} \vee A_{19} \vee A_{20} \vee A_{21} \vee
 A_{22} \vee A_{23} \vee A_{24} \vee A_{25} \vee A_{26} \vee A_{27} \vee A_{28} \vee A_{29} \vee A_{30} \vee A_{31}

前節の例において「かつ」を「または」に変えたものである。1以上31以下のすべての  n に対して、 A_n すべてを「または」で結んだ命題であり、こちらも前節と同じ考え方をすれば、この命題は要するに

「田所さんは12月1日から12月31日までのうち少なくとも1日は出勤予定である」

という意味になる。「かつ」の場合とまったく同様で、今回も「書き表すのが面倒くさい」問題が生じてしまうため、簡潔に表すために次のように書き換えることにしよう。

 \exists n, A_n

上の命題における「 \exists」という記号は、日本語に訳すなら「ある~が少なくとも1つ存在して」と言い換えればよい。実際、「 \exists」という記号は「存在する」の意味を表す英単語「Exist」の頭文字の「E」を左右反転させてできた記号である。 A_n の前にある「 , 」(カンマ)については今回は特に意味を持つものではないのでそのまま読み飛ばしてもらって構わない。以上を踏まえると、上の命題は日本語では

「ある  n が少なくとも1つ存在して  A_n は真である」

と言い換えられる。さらに具体的に書き下すなら、

「ある  n が少なくとも1つ存在して田所さんは12月  n 日は出勤予定である」

となる。先ほどの

「田所さんは12月1日から12月31日までのうち少なくとも1日は出勤予定である」

と同じ意味になることが分かると思う。この例のように「少なくとも1つ存在して」という意味を表す記号「 \exists」を含んだ命題を存在命題という。(次の記事へ続く)

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命題論理 Part3

条件命題の逆、裏、対偶

条件命題  A \Rightarrow B に対して、 A B をひっくり返してできる  B \Rightarrow A という命題を、もとの条件命題の「逆命題」という。また、 A B をそれぞれ否定してできる  \overline{A} \Rightarrow \overline{B} という命題を、もとの条件命題の「裏命題」という。

逆命題と裏命題を組み合わせてできる命題を、もとの条件命題の「対偶命題」という。つまり、条件命題  A \Rightarrow B に対して、 A B をひっくり返し、さらに  A B それぞれを否定してできる

 \overline{B} \Rightarrow \overline{A}

という命題を、もとの  A \Rightarrow B の対偶命題という。

例えば、「もし明日の天気が晴れなら、明日運動会が行われる」という条件命題に対して、その逆命題、裏命題、対偶命題を考えると、それぞれ次のようになる。

  • 逆命題:「もし明日運動会が行われるなら、明日の天気は晴れである」

  • 裏命題:「もし明日の天気が晴れでないなら、明日運動会は行われない」

  • 対偶命題:「もし明日運動会が行われないなら、明日の天気は晴れでない」

逆、裏、対偶命題の性質

条件命題  A \Rightarrow B の対偶命題  \overline{B} \Rightarrow \overline{A} に対して、前記事(命題論理 Part2)で紹介した「条件命題の言い換え公式」を適用させてみよう。すると、 \overline{B} \Rightarrow \overline{A}

 \overline{\overline{B}} \vee \overline{A}

と同じである。ここで、 \overline{\overline{B}} は二重否定なので元の  B と同じである。したがって、

 B \vee \overline{A}

となる。順序を逆にしても同じことなので

 \overline{A} \vee B

としておこう。

さて、この形を見て何か気付くことはないだろうか。「条件命題の言い換え公式」と見比べてみると一目瞭然だが、この形はまさに

 A \Rightarrow B

と同じである。対偶命題  \overline{B} \Rightarrow \overline{A} から出発して変形していった結果、それはもとの条件命題  A \Rightarrow B と同じになってしまった。このことをまとめておこう。

対偶命題の公式
 \overline{B} \Rightarrow \overline{A} \quad \Longleftrightarrow \quad A \Rightarrow B

要するに、「もとの命題とその対偶命題は命題としてまったく同じ」ということである。

同様に、今度は裏命題  \overline{A} \Rightarrow \overline{B} に対して「条件命題の言い換え公式」を適用させてみよう。すると、 \overline{A} \Rightarrow \overline{B}

 \overline{\overline{A}} \vee \overline{B}

と同じである。ここで、 \overline{\overline{A}} は二重否定なので元の  A と同じである。したがって、

 A \vee \overline{B}

となる。やはり順序を逆にしても同じことなので

 \overline{B} \vee A

としておく。

先ほどとまったく同じように考えると、この形は

 B \Rightarrow A

と同じである。つまり、裏命題  \overline{A} \Rightarrow \overline{B} は逆命題  B \Rightarrow A とまったく同じ命題になる。

逆、裏命題の公式
 \overline{A} \Rightarrow \overline{B} \quad \Longleftrightarrow \quad B \Rightarrow A

「もとの命題と対偶命題はまったく同じ命題」であり、「逆命題と裏命題はまったく同じ命題」である。このことは非常に重要な事実なのでしっかり覚えておこう。

逆命題・裏命題におけるよくある間違い

前節で「もとの命題とその対偶命題はまったく同じ命題である」と述べた。この事実より、当然、もとの命題の真偽とその対偶命題の真偽は必ず一致することになる。

ここで、多くの人が誤解しがちな、論理におけるよくある間違いを紹介したい。それは、「逆命題や裏命題も、もとの命題と真偽が一致する」と考えてしまうことである。一般にはもとの命題が真だとしても逆命題・裏命題が真になるとは限らない。このことについて、もう少し深く掘り下げていこう。

例えば、

「もし明日の天気が晴れなら、明日運動会が行われる」

という条件命題に対して、その裏命題は

「もし明日の天気が晴れでないなら、明日運動会は行われない」

となる。もとの命題を真だとしよう。この場合、もとの命題で「もし明日の天気が晴れなら」と書かれた時点で、この命題では「明日の天気が晴れである状況しか考えません」という宣言をしていることになっており、言い換えれば「明日の天気が晴れでない状況については一切言及しません」という立場を取っているのだ。要するに「明日の天気が晴れでない場合のことなんて私は知りません」というスタンスなので、裏命題のような「もし明日の天気が晴れでないなら  \cdots 」から始まる命題については「真とも偽とも言えない(分からない)」というのが正しい解答になるのである。

また、前節で述べた「逆命題と裏命題はまったく同じ命題である」という事実から、逆命題の真偽についても必然的に「真とも偽とも言えない(分からない)」というのが正しい解答になる。

なぜこういった間違いが起きるのか

なぜ多くの人がこういった間違いをしてしまうのか。もちろん、単に「論理的思考そのものが苦手で論理的思考を日常的に放棄している」という人も少なからずいるが、原因は他にもあると筆者は思う。ここからは筆者の個人的な意見・憶測が含まれるので、「なるほどこういう意見もあるのか」というくらいに思いながら読み進めていっていただきたい。

日本人は昔から「相手の気持ちを汲み取る(察する)」といった礼儀や作法を重んじる傾向が強かった。したがって、コミュニケーションの場面においても、その場の会話の流れや話し方の抑揚などから、「この人は本当はこういうことを言いたいのではないか」といった推測を立てながら話を進めていく傾向が強い。大の大人でも論理のルールを間違ってしまうのは、こういった日本人特有のコミュニケーション方法が大きく影響しているのではないかと思われる。

このことについてもう少し詳しく説明するために、今、例としてひとつ、こんな「シチュエーション」を考えよう。

職場の上司が「父親が危篤状態になった」と言って3日間仕事を休むことになった。その際、その上司は

「休み明けで俺が笑顔だったら父親は回復したと思ってくれ」

と言い残したとしよう。そして、休み明け、上司は出勤し、そこに笑顔はなかったとする。

さて、この場合、あなたはその上司の父親の健康状態について何を思い浮かべるだろうか。「論理のルール」だけで話をするなら、前節の「もとの命題が真だとしても裏命題が真かどうかは分からない」という事実から、「上司の父親の健康状態は悪化しているのかどうか分からない(悪化しているかも知れないし回復しているかも知れない)」と結論付けるだろう。しかし、現実的にこういった場面があったとして、あなたは「分からない」という一言だけで片づけられるだろうか。

おそらくだが、「上司の父親は亡くなったのではないだろうか」とか、「亡くなったわけではないにしても、かなり深刻な状態なのではないだろうか」とか、いろいろと思いを馳せることが出てくるはずである。こういった考えが頭に浮かぶのは、これはもはや論理のルールでも何でもなくて、「相手への気遣い」だとか「相手の気持ちを汲み取る」といった「コミュニケーション能力」の中での理屈である。「論理のルール」にこういった「コミュニケーション能力」が付け加わることで、日本人の言葉のやり取りは成り立っているのである。

日本語のやり取りにおいて、「論理のルール」も「コミュニケーション能力」も、これらはもちろん両方とも重要な要素である。いくら論理のルールをしっかり熟知していてもコミュニケーション能力が皆無であれば、「空気を読め」とか「デリカシーが無さすぎる」とか批判されてしまって周りからの信頼は徐々に失っていくだろうし、逆にいくらコミュニケーション能力に長けていても論理のルールをまったく理解していなければ、自分の主張1つ1つに説得力が無くなり、「何だかそれっぽいことは言ってるけどよくよく聞いたら言ってることが支離滅裂じゃないか」などとなりかねない。

筆者が言いたいのは、「どちらが大事か」ではなくて、どこまでが論理のルールを使っていてどこからがコミュニケーション能力を使っているのかの線引きをできるようになろうということである。線引きができないままだと「論理のルール」と「コミュニケーション能力」が一緒くたになってしまう。本当は論理的思考力が無いだけなのにコミュニケーション能力が不足しているのだと勘違いしてコミュニケーション能力ばかりを磨いてしまったり、その逆も起こりうる。

世の中には「人付き合いがとても上手でコミュニケーション能力自体は高いのにも関わらずディベートなどの場になると途端に言っていることがちぐはぐになってしまう」という人は数多くいる。そういった人は、コミュニケーション能力そのものを直接磨くのではなく、まず最初に「論理のルールの勉強」「論理的思考のトレーニング」をすべきなのである。そうすることで自身のコミュニケーション能力にも必然的に磨きがかかっていき、周囲からの信頼や評価も今よりさらに上がっていくと思われる。(次の記事へ続く)

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命題論理 Part2

条件命題

「もし~なら、~である」というような、「もし~なら」という仮定(条件)が含まれた命題を「条件命題」という。

例えば、「もし明日の天気が晴れなら、明日運動会が行われる」という命題は条件命題である。例によってここでも記号の話をさせてもらうが、一般に「もし  A なら  B である」という条件命題は記号で「 A \Rightarrow B」と表す。

少し神経質な指摘かも知れないが、「 A \rightarrow B」ではないことに注意されたい。「そんなのどっちでもいいじゃないか」と思われるかもしれないが、一応論理学の世界では矢印の記号1つ取っても明確に使い分けがされているので、条件命題と言われたら必ず「 \Rightarrow」の方を使うようにしよう。

条件命題の言い換え

「もし  A なら  B である」という形の条件命題だが、実はこれは前記事(命題論理 Part1)で扱った「または」を使って言い換えることができる。

先ほど挙げた条件命題「もし明日の天気が晴れなら、明日運動会が行われる」を例に考えていくことにしよう。この命題は、「明日の天気が晴れである」という条件を満たせば「明日運動会が行われる」という部分は必ず真になる、と言っている。当たり前であるが、世の中の事象として「明日の天気」というのは「晴れである」か「晴れでない」かの二択しかないのだから、言い換えれば、「明日の天気が晴れではない」か、またはそうでなければ(晴れということになるので)「明日運動会が行われる」ということになる。つまり、起こりうる事象としては、

「明日の天気が晴れではない」か、または「明日運動会が行われる」

の少なくともどちらか一方が必ず成り立つ。

これを一般化すると、「もし  A なら  B である」という条件命題は

 A でないか、または  B である

という命題と同じということになる。記号で表すなら、

 \overline{A} \vee B

となる。このことをまとめておこう。

条件命題の言い換え公式
 A \Rightarrow B \quad \Longleftrightarrow \quad \overline{A} \vee B

条件命題の否定

条件命題  A \Rightarrow B の否定  \overline{A \Rightarrow B} を考える。前節の「条件命題の言い換え公式」と、前記事(命題論理 Part1)で扱った「ド・モルガンの法則」(「かつ」「または」の否定公式)を組み合わせることにより、 \overline{A \Rightarrow B} はすぐに分かる。

「条件命題の言い換え公式」より、 \overline{A \Rightarrow B}

 \overline{\overline{A} \vee B}

と同じである。すると、「ド・モルガンの法則」より、これは

 \overline{\overline{A}} \wedge \overline{B}

と同じである。 \overline{\overline{A}} は二重否定なので元の  A と同じである。したがって、

 A \wedge \overline{B}

と書き換えられる。

以上より、 \overline{A \Rightarrow B} A \wedge \overline{B} と同じになることが分かる。このことをまとめておこう。

条件命題の否定公式
 \overline{A \Rightarrow B} \quad \Longleftrightarrow \quad A \wedge \overline{B}

例えば、

「もし明日の天気が晴れなら、明日運動会が行われる」

という条件命題の否定は

「明日の天気が晴れであり、かつ明日運動会が行われない」

となる。具体例で考えれば、直観的にも納得しやすいと思う。(次の記事へ続く)

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命題論理 Part1

「論理のルール」の話

今回は「命題論理」をテーマにいろいろとご紹介しようと思う。この内容は、現在の教育課程では高校の数学(発展的な内容に限っては大学の数学)で学ぶことになっているが、大人になってからでもとても役に立つ「日本語の論理の話」なので、個人的な意見を言わせてもらうなら義務教育の段階で学んでも良いのではないかと感じるくらい重要な内容だと思っている。

この記事では数学を全く使わず中学生でも分かるようになるべくかみ砕いて説明していくつもりなので、数学がまったく分からない方でも安心して読み進めていってほしい。

命題とは

まず、「命題」という言葉の定義から始めよう。「命題」とは、

正しいのか正しくないのかを客観的に決めることができるような文章

のことを指す。

例えば、「今日の最高気温は25度である」という文章は、それに対して「正しい」「正しくない」の判断を客観的に行うことができる。「客観的に」というフレーズをもう少しかみ砕いて言うなら「誰がやっても同じように」と言い換えても良い。Aさんが「正しい」と判断したのにBさんは「正しくない」と判断するような状況はあり得ない、ということである。こういった文章は「命題」の1つである。

一方、例えば、「東京の夜景は美しい」という文章は、それに対して「正しい」「正しくない」の判断を客観的に行うことができない。なぜなら、「美しい」という概念が「主観的」な概念だからである。Aさんが「美しい」と判断してもBさんは「美しくない」と判断することは十分にあり得る。こういった文章はそもそも「命題」とは言えない。

真と偽

ある命題があったとして、その命題が「正しい」とき、その命題は「真である」という。逆に「正しくない」とき、その命題は「偽である」という。

日常会話でも「真偽を確かめる」などという言い回しがあるが、あの「真偽」という言葉はここから派生して生まれた言葉である。

命題の否定

ある命題があったとして、それに打消のニュアンスを付け加えた命題を、その命題の「否定」という。

例えば、「今日の最高気温は25度である」という命題の否定は「今日の最高気温は25度ではない」となる。ここから少しだけ「記号」を使わせてもらうことになるが、一般に、命題  A の否定は  \overline{A} と表す。この記号の書き方についても、最初のうちは抵抗感を持つかも知れないが、慣れてくると後々の理解の助けになる。

当たり前のことだが、命題  A の否定  \overline{A} をさらに否定したもの

 \overline{\overline{A}}

というのは、元の命題  A と同じである。これを「二重否定」という。

「かつ」と「または」

命題によく登場する単語として「かつ」と「または」がある。

例えば、「今日は気温が25度であり、かつ湿度が30%である」と言われたら、「今日は気温が25度である」という命題と「今日は湿度が30%である」という命題が両方とも真であることを意味する。一方、「今日は気温が25度であるか、または湿度が30%である」と言われたら、「今日は気温が25度である」と「今日は湿度が30%である」のうち、少なくともどちらか一方が真であることを意味する。

ここで注意しなければならないのは、「または」のニュアンスにおける「少なくともどちらか一方」という文言の解釈である。一般に「少なくともどちらか一方」と言われた場合、「どちらか片方」というニュアンスももちろん含まれるが、それに加えて「両方成り立つ」というニュアンスも含んでいることに注意されたい。例えば、先ほどの例で言えば、

今日は気温が25度であるか、または湿度が30%である

と言われた場合、これは

  1. 今日は気温が25度であるが湿度は30%ではない

  2. 今日は湿度が30%であるが気温は25度ではない

  3. 今日は気温が25度であり、かつ湿度が30%である

という3つの命題の意味を合わせ持っているということである。言い換えれば、

「両方成り立たない(気温も25度でないし湿度も30%でない)」
というパターン以外はすべて含む

という意味である。「どちらか一方」という文言だけなら上の1と2だけを指すが、「少なくともどちらか一方」という文言なので3も含むのである。このことから、「または」の命題は必然的に「かつ」の命題のニュアンスを含んでいることになる。

ここでも記号の話を少しだけさせてもらうが、一般に「 A であり、かつ  B である」という命題は記号で「 A \wedge B」と表す。さらに、「 A であるか、または  B である」という命題は記号で「 A \vee B」と表す。

「かつ」と「または」の否定

前節で、「または」の命題は「両方成り立たない、というパターン以外はすべて含む」と説明したが、これを言い換えれば、「『または』の命題の否定」は「両方成り立たない、というパターンのみ」であるということになる。

 A \vee B という命題があったとして、それの否定  \overline{A \vee B} は、 A B も両方成り立たない、つまり、

 A でなく、かつ  B でない

ということになるので、記号で書き換えると

 \overline{A} \wedge \overline{B}

と同じである。このことをまとめておこう。

「または」の否定公式
 \overline{A \vee B} \quad \Longleftrightarrow \quad \overline{A} \wedge \overline{B}

ここで「 \Longleftrightarrow」という記号は「同値」という意味の記号で、平たく言えば「同じ意味」というニュアンスの記号である。「イコール」のような記号だと思ってくれれば良い。今後ちょくちょく使っていくが、この記号自体の詳しい説明は今回の記事の本筋から逸れてしまうためこのくらいに留めておく。

さて、こうなると、「では『かつ』の否定はどうなるのか?」という疑問が自然とあがってくると思う。実は、「かつ」の否定も、上の公式の「かつ」と「または」をひっくり返すだけですぐに得られる。つまり、次のようになる。

「かつ」の否定公式
 \overline{A \wedge B} \quad \Longleftrightarrow \quad \overline{A} \vee \overline{B}

これも、先ほどの「または」のニュアンスを理解するときに使った考え方を応用すれば、さほど難しくなく理解できる。

  1.  A であるが  B でない

  2.  B であるが  A でない

  3.  A であり、かつ  B である

  4.  A でなく、かつ  B でない

という4パターンがあるとして、 \overline{A \wedge B} ということは、上の「3以外すべて」ということになる。1,2,4の3つの意味を合わせ持っているのは  \overline{A} \vee \overline{B} である。

上に挙げた「かつ」と「または」の否定公式には「ド・モルガンの法則」という名前が付いている。この記事でも今後何回か登場する用語なので覚えておいていただけるとありがたい。(次の記事へ続く)

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初投稿

はじめまして。この度趣味でこのブログを始めさせていただきました。

数学好きの社会人です。主に数学関係の記事を書きます(たまに人生観などの話もちらほらと)。

 

ここで紹介する数学は主に中学数学レベル~高校数学レベルの内容になることが多いと思いますが、取り扱うテーマ自体は割と深い理論まで紹介することもあります。既存の数学理論を紹介したりももちろんしますが、正直それよりも「自分で考えた自由な数学」をメインに記事を書いていこうと思っています。

 

このブログでは基本的に学問としての固定概念を取っ払った自由な数学しか書かないので、書いていることが正しいとか間違ってるとか、そういったことは一切気にせずに書いていきます。もしかしたらまったくのデタラメを書くこともあるかもしれません。しかし、それも含めて数学という学問は本来もっと自由でいいものだと個人的には思っています。

 

学問としての「正しい」「正しくない」のしがらみから解放され、自分で考えた自由な数学を自由に好きなだけ書く。それがこのブログのコンセプトです。これからいろんな記事を書いていこうと思うので、どうぞよろしくお願いします。

 

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